2005.10〜2006.3                        
3月24日 神保
『第5次鈴鹿市総合計画策定をふりかえって』
  第5次鈴鹿市総合計画が発表された。その計画策定作業をふりかえる会が、先日開催され、策定作業に市民メンバーとして参画していた私も出席することになった。
  鈴鹿市では、市民が参画して総合計画を策定することは、初めての試みであったせいか、ふりかえる会では様々な意見や反省が述べられ、あらためて行政職員と一般市民が協働で作業を行っていくことの難しさと大切さを感じた。私自身、自らの意思で参画したこともあり、当然のことではあるが、度重なる会議にはできるかぎり出席はしてきたものの、本当に自分が参画した意味があったのかどうかは、よくわかっていなかった。
  しかし、最後に、今回の総合計画策定作業で一環してアドバイザーをつとめた本学研究所の教員が「この次期総合計画をしっかりと読んでください。どこかに、今回のメンバー皆さんの意見が反映されている箇所があれば、皆さんが参加した意味があります。そして、これから、メンバーの皆さんそれぞれが、市民が参画することの意味を他の市民に広めていくことが、皆さんの役割でもあるのです」といわれたことにうなずいていた。
  会の終了後、鈴鹿市新庁舎の12階から鈴鹿市の夜景を眺めながら、次期総合計画によって、このまちが少しでも、よいまちになるってくれることを願っていた。もっともその光景は周りから見れば、ただ子供のように、うれしそうに窓にへばりついていたようにしか見えなかったと思うのだが…。       
3月17日 東川
『市民感覚の危機』
  民主主義は、専門家ではない一般の市民の考えを尊重することが前提となっている。
ところが、このたび最高裁司法研修所が市民1000人に聞いたところ、少年が殺人を犯した場合、成人より刑を重くするべきと考えている市民がなんと25.4%もみられたそうである。当然、裁判官766人では「軽くする」が90%を超え、重くするはゼロであった。
  この25%以上を占める人々に、ぜひその理由を尋ねたいが、もし、昨今の少年犯罪についての報道等から作られた単なる感情的な反応であるとするならば、これははなはだ不気味な兆候といわざるを得ない。人を罰するということに対して、このような反応では、何事に対しても、その理由を考えずに単にその場の感情のみで反応しているのに過ぎないのではないか。
  市民が考えることを面倒だとして放棄すれば、少数の専門家によって自分たちを統治してもらいたいという期待が高まる。しかし市民により監視されない専門家は常に自らの利益のみを追求するものなのだ。   
3月10日 小林
『誰もが暮らしやすい豊かな社会』
 「人権教育・啓発に関する基本計画」という文書をご存知だろうか。今日においても不当な差別その他の人権侵害がなお存在しているとの認識のもと、人権教育・啓発を総合的かつ計画的に推進していくために、2002年に国が法律に基づいて策定した計画である。
 この計画では、人権問題が生じている背景として、人々の中に見られる同質性・均一性を重視しがちな性向や非合理的な因習的意識の存在等を挙げ、人権擁護を推進していく上で、特に重要な課題として、障害者、外国人、HIV感染者等、いわゆるマイノリティ(少数派)と呼ばれる人々をめぐる人権問題の存在も指摘している。
 その一つとして同計画では、同性愛者への差別といった性的指向に係る問題も挙げている。計画の中で、国は具体的な施策を書いてはいないが、先ごろ、大阪府では、この問題の解消につながる一つの具体的な施策が進められていることが、明らかになった。
 全国で初めて同性愛者であることを公にした政治家でもある尾辻府議の質問に応え、同性カップルなど法律上の親族以外の者同士でも府住宅供給公社の住宅に入居できるよう、来年度早期のハウスシェアリング制度の実施に向けて準備を始めているというのである。
 マイノリティの存在は、なかなか目に見えないことも多い。このため、ついつい無関心になってしまいがちで、どのような差別に苦しんでいるのかにも気づけないことも多い。だが、この大阪府の取り組みのように、マイノリティの当事者の声に耳を傾け、そうした人たちにとっても暮らしやすい社会を目指した取り組みを進めていくことは、今後、他の地域でも求められよう。
 様々なマイノリティの人たちがそれぞれ自分らしく暮らせるような社会、そうした多様性を受け容れられる社会こそ、その多様性の中から新たな文化を産み出す文化力も持った豊かな社会なのではないだろうか。  
3月3日 小谷
『緊急メール増加』
 12月のコラムでも幼い子供の殺傷事件のことを書いたが、先月また、滋賀県で園児殺害事件がまた起こった。子供を持つ親としは悔やんでも悔やみ切れない事件であった。子供を守るための送迎がまさかあんな事件になるなんて誰が想像するだろうか? 
 頻繁に起きる犯罪。毎日ニュースや新聞で見ているが、いつ自分の身に起こりうるかもしれない。最近、私が住んでいる辺りでも変質者や不審者が頻繁に現れるようになった。
 最近、小学校・中学校からの緊急メールの登録制があり我が家も登録しているが、不審者情報メールや変質者情報メールなど、以前より多く配信されてくる。
 共働きの家庭が多いなか、住民の協力がとても重要だと思う。今のところ事なきを得ているが、警察・自治体・町内会等のパトロールをもっと強化してほしいところである。

2月24日 土屋
『無料駐車場甘美』

  4月1日より四日市港から中部国際空港への高速定期船の運航が開始される。グループ企業がイタリア村を運営しているセラヴィ観光汽船(名古屋市)が運航するのだが、このイタリア村からの航路についてはイタリア村への入場者数が予想を大幅に上回り、駐車場の確保ができず就航が遅れていた。が、幸か不幸か最近入場者数も当初の見込み程度に落ち着き、同時期に就航開始の運びとなった。
  同様に「津なぎさまち」からの高速船も駐車場不足に頭を抱えていると聞く。駐車場不足は深刻で2カ所にある520台分の駐車場は連日ほぼ満車。開港直後の物珍しさで来る旅客者以外の来客と無料の駐車場が大きな要因と考えられる。四日市の浜園につくられる旅客ターミナルの無料駐車場は233台分。対応できるかどうかいささか不安である。
  「地域活性化の起爆剤」となるには長期的に広く活用されることが必要だ。旅客や観光目的に空港に行く人の利用だけでなく、旅客ターミナル目的に行こうと思えるくらい魅力あるスポットであってほしい。たとえば万古焼きと常滑焼の交流拠点として考えても面白いのではないか。
  しかし場所によっては、ララスクエアのように電車を使う人の駐車場がわりに利用され、最大7時間無料だったものを最大4時間までと変更せざるを得ないこともある。この場合は近々実施されるパークアンドバスライドで解決できる部分もあるだろう。もっとも、運動不足を解消するためにスポーツクラブへ車で通う私がしたり顔で言えることではないのだが…。
2月17日 大久保
『今日もトリノ!』
 今週もオリンピックの話題です。今回の開催地イタリアトリノとの時差が8時間。氷上の競技は氷のコンディションを考えて開始が夕方からになるので日本では真夜中。今回は睡眠不足程度ではすみそうにありませんね。
 開幕前にアメリカの専門誌「スポーツ・イラストレーテッド」が予想した日本獲得のメダルの数は、フィギア女子とスピードスケート500m男子の銅メダル2個。現時点では残念ながらその予想さえ下回りつつあります。
 日本勢の不調に対してアジアでは中国、韓国勢の台頭が目立ちます。国の勢いのよさが選手の勢いにつながるのでしょう。日本ではスピードスケートやジャンプなど若手の育成が遅れているのは、強化選手を育てる実業団の縮小なども影響していると言えます。
 でも、日本の経済は明るい材料が揃っており、この先強力なスポンサーとなる企業が増えることが期待できます。今回はメダルメダルと騒がずに、成熟したスポーツ人の、メダルだけでは計れない魅力を楽しむことにしましょう。
2月10日 神保
『第20回オリンピック冬季競技大会』
 「耐震強度偽装問題」、「米国産牛肉問題」、「ライブドア問題」、「防衛施設庁談合問題」、いわゆる4点セットと呼ばれている暗いニュースが日本を賑わせているなか、イタリアのトリノで冬季オリンピックが始まる。
 スケート競技ショートトラックの日本代表選手として、ここ三重県からも勅使川原郁恵さんが、1500メートルとリレーに出場する。(ちなみに勅使河原さんのご出身は、お隣の岐阜県ですが、現在は三重県の企業にお勤めです)
 彼女は、長野、ソルトレイクに続いて、今回で3回目のオリンピックに出場となる。過去2回のオリンピックでは、いずれも入賞しており、すばらしい実績をもっている選手である。今回トリノでは是非ともメダルを獲得してほしい。
 そして、勅使河原選手だけでなく、日本代表選手の活躍により、日本が明るいニュースで賑わうことを期待している。 
2月3日 東川
『今年の初夢』
 現在、40歳以上の人全員から集めている介護保険料は、全国平均で約月3千円である。さて、これをもう月3千円増額してみよう。介護保険財源の半額は税金が投入されているので、税金を増額しない場合、単純に言って介護保険料が2倍になれば介護保険財源は現在の1.5倍になることになる。現在と同じ効率で介護保険が運営されるとして、福祉に携わる人の賃金を1.5倍に引き上げることができるわけだ。そうすれば確実に現在よりもより多くの優秀な人々が福祉に携わろうとするだろうし、福祉におけるビジネスチャンスも格段に拡大するだろう。
 福祉をめぐる「もの」「ひと」「かね」不足というネックを打開する単純な方法かもしれぬ。個々の家計が苦しいのはわかるが、それで安心が買えれば安いものである。
1月27日 小林
『口承文学』
 過日、面白い話を読んだ。1月19日の中日新聞の文化面に載っていた話だ。国連が全世界を対象に「自国以外の栄養不足の解決について、偽りない意見をうかがいたい」と聞いたところ、アフリカの人々は「栄養」、東欧の人々は「偽りない」、西欧の人々は「不足」、中国の人々は「意見」、中東の人々は「解決」という言葉の意味を、それぞれ理解できず、そして米国では誰も「自国以外」について知らなかったため、アンケートは失敗に終わったというドイツのジョークである。
 ところが1月22日、同じく中日新聞の1面下のコラムに同じような話を見つけた。これは、早坂隆『世界反米ジョーク集』(中公新書ラクレ)からの引用として紹介されているのだが、ここでは、アンケートの実施主体は「ある研究所」となっていて、「意見」という言葉の意味を理解できなかったのは日本の人々ということになっている。
 考えてみればジョークというのは、いわば現代の口承文学だ。口頭で話を伝えていく過程で、その話者によって独自の改変が加えられていく。そしてそれを採録する者によってもまた、改変は加えられるだろう。
 かくして、元は同じ話だったと思われるジョークが、別々の形で採録されて同じ新聞に掲載されるという椿事も起きる。採録されたバージョンによっては日本人が意見を言えない人々だとされている点も気になるところだが、それとは別に、口伝えの情報は途中で変化するのだということが、この二つのバージョンの存在で改めて気付かされる。
 仕事上の様々な局面で、大事な話などを口頭だけで済ませようとする人がいる。だが、これは上の例に見るように、正確に伝わっていかない可能性があり、きわめて危険なことだ。
 口承文学は、文字の発明・普及に伴って文学が文字で表現・記録されるようになると、次第に姿を消していった。仕事の上でも、正しく伝えるためには、たとえ煩瑣であっても、口頭でのやりとりだけではなく、やはり文字で記録することが重要なのではないだろうか。  
1月23日 小谷
『受験シーズン到来』
 受験シーズンが到来した。1月21日・22日には、全国の約55万人が大学入試センター試験を受験した。今年からは、英語にリスニング試験が実施され、一部不具合が生じ今後の検討課題が残ったがまず成功であったと思う。
 少子化の影響で、センター試験の受験率は2年前に比べて若干減少し、大学は冬の時代に突入したが、私立大学のセンター利用の増加に加えて、不景気の影響から国公立志向が高まり、センター試験は、大学の入学の目安を定める試験としての大きな役割を果している。
 2月に入るとセンターリサーチが発表され、受験生にとっては希望大学を定め、ラストスパートの時期となる。
 本学も来週から学力試験とセンター利用試験が始まるが受験生は、悔いを残さず頑張って貰いたい。本学の試験日程等は下記のホームページで参照してください。
http://www.yokkaichi-u.ac.jp/nyushi/index05.html
1月13日 土屋
『活性化』
 お正月休みに甥っ子がニンテンドーDSで遊んでいた。早速取り上げてやってみたところ脳年令26歳という結果が出て新年早々ずいぶん気をよくした。
 このゲーム機は機械本体も好調にセールスを伸ばし続けていると聞くが、この脳活性化ソフト「脳を鍛える大人のDSトレーニング」は敬老の日にあたる発売18から19週目に発売1週目以上の売れ行きを見せるという驚異的な数値を叩き出しており、ゲームビジネスではそれまで考えられなかったシニア層の需要を生み出したそうだ。
 これと同様に「大人の塗り絵」なるものが流行っている。塗り絵と聞くと単純に思えるが「下絵を選ぶ」、「塗る色を選ぶ」、「塗り方を考える」、「手を使う」等の作業が前頭葉、後頭葉、側頭葉を使い、脳の全体を活性化する効果があるとのこと。
 地域の活性化においてもあらゆる年齢層が簡単な方法で取り組める方法があれば・・・と考えた年の初めであった。
12月30日 大久保
『人事を尽くしているか?』
 先日のみずほ証券によるジェイコム株の大量発注ミスで、個人投資家が20億を超える利益を得ていたという。このところ書店では素人向けの株式投資の本が目に付くようになった。景気回復の兆しが見え始めたこの時期に、少しの資金と知恵と予測で始められ、射幸心も少々満足できる株式投資は時代に合っているのだろう。
 ところで今月25日の第50回有馬記念では無敗の三冠馬ディープインパクトが初黒星を喫した。外れた馬券を手にがっかりした人も多いのだろう。その日の調子を馬に聞くわけにもいかず、競馬は予測に頼るしかない。
 さて、知恵も予測も必要としない宝くじを今年も買ってしまった。そこにあるのは運だけである。せいぜい大晦日の抽選日まで楽しい夢を見ることにしよう。
 そして来年こそは予測だの運だのに頼らず、自分の力で幸運を呼び寄せることができるように自分自身を向上させたい!との決意を来年に向けての抱負にしたいと思う。
12月23日 神保
『日本記録保持者とサンタクロース』
 あるスポーツ店で、偶然に女子走り高跳び日本記録保持者である女性と出会った。
  私がそこで所用を済ませているあいだ、彼女に子供の相手をしていただいた。そして色紙にサインをしてもらった。彼にとっては、生まれて初めてのサインであり、とても喜んでいた。その色紙には「夢を現実に!」とコメントが書かれている。
  彼女のもつ日本記録は、なんと1m96pである。その高さは飛びたいと思っても簡単に飛べるものではなく、並々ならぬ努力があったことであろう。果たして、彼はその色紙のコメントには、「努力して」という言葉が隠されていること気付いているのであろうか。いまはまだ無理だとしても、いずれは、それに気付くときがくるであろう。
  いや、もう気づいているのかもしれない。なぜなら、サンタクロースは自分の身近にいるという現実に気づいているのだから。
  それでも、彼は、また今年もせっせとサンタクロースに手紙を書いている。「サンタさんへ、○○ゲームのソフトをお願いします」と…。   
12月16日 東川
『なぜ人を殺してはいけないか?』

最近、子供を対象とした犯罪が目立っているが、それと同時にここ数年、同級生を殺害するなど、未成年による殺人も起きている。「なぜ、人を殺してはいけないのか?」と素朴に問う子供が増え、それに対して納得できる説明のできない大人が多いともきく。「いけないに決まっている。」という説明では子供は納得できないだろう。
 確かに、自分が気に入らない他人を「消す」ことができれば、自分にとっては「幸せ」なことかも知れない。しかし、ここで少し考えてほしい。自分が気に入らない他人がいるということは、自分も他人の誰かに気に入られていない可能性が高いということだ。自分が気に入らない誰かを殺してもよいということは、自分も常時、気に入られていない誰かに殺されるかも知れないということなのだ。これでは、誰もがおちおち寝てもいられない。
 人間は自分たちと意見の違う人たちと互いに殺し合う、つまり「気に入らない人の頭を叩き割る」という段階から、長い時間をかけて「気に入らない人の頭の数を数え」て物事を決めるという民主主義の段階に達した。これで誰もが安心して夜も寝ていられるわけである。民主主義の歴史や重要性などを、知識としていくら教育しても、それがもたらす利点を子供が実感していないために、最初のような質問が出てくるのであろう。さまざまなルールを「ルールだから守れ。」と教えるのは意味がない。そのルールがなぜできてきたのかをていねいに説明することが重要だ。 

12月9日 小林
『僕らの隣の外国人』
 先週の本コラムでも触れられているが、先ごろ広島で、自称日系ペルー人が女児を殺害するという痛ましい事件が起きた。こうした事件が起きると、「外国人は何をしでかすか分からず怖い」といった声が巷で聞かれ、外国人に厳しい目が注がれるようになる。
 日本で暮らす外国人の数が急増したのは、1990年の出入国管理及び難民認定法の改正以降のことである。この改正で、日系2世・3世とその家族の長期滞在が認められるようになったため、ブラジルやペルーなどから、多くの日系人が入国してくるようになり、四日市市や鈴鹿市などでも多く目にするようになった。彼らの多くは、大企業の下請けの工場などで派遣労働者として働いている。つまり、そうした労働力を多く必要としている地域ほど、日系外国人は多いといえる。ものづくりを中心とした東海地方の好調な経済は、彼らに下支えされているのである。
 間もなく日本は、少子化の影響により人口減少の時代に突入する。今までの経済規模を維持しようとするならば、今後ますます人手不足となる部分を、外国人に依存せざるを得なくなっていくのは明らかである。実際、政府間の経済連携協定(EPA)の大筋合意に基づき、早ければ来年4月にもフィリピンからの看護師の受け入れも開始される。
 このように政策的に外国人を受け入れておきながら、彼らに対するフォローは十分とは言い難い。多くの外国人が、日本社会に溶け込めず、様々なストレスを抱えながら地域で孤立している。外国人を怖れたり、外国人に厳しい目を向けたりするよりも、先ずは地域経済を支えあっている仲間として、そして同じ地域で暮らす隣人として、社会に受け入れる努力をしていくことが、私たちには求められているのではないだろうか。
12月2日 小谷
『今そこにある危険』
 最近、私たちの周りにあらゆる危険が襲いかかってきている。
 天災(地震、水害、火災等)、事故、犯罪、消費者被害、環境被害などなど数えあげればきりがない。最近では先月、広島で起こった小学生殺害事件は、何の関係もない小学生が被害に遭っている。最近メディアでとりあげられることも少なくなったが、中越地震で家屋を失った方々は、未だに仮設住宅に住んでいる。これはもう一度日本国民全体で考えなければいけない問題だと強く思う。
 危険を守るのは、自分自身であるが、いくら気をつけていてもどうしようもないことが生じる。防犯の点からいえば、最近は、各地区の自治会などが自主的に安全パトロールを実施したり、「こどもを守る家」の制度等があるが、危険はいつ襲い掛かってくるかわからない。
 四日市市においては、平成16年に「安全なまちづくり基本計画」が策定されたが、住民が安心して暮らせるまちにしていくのは、もちろん我々市民である。
11月25日 土屋
『四日市大学マニフェスト研究会2005』
 来る12月3日(土)に四日市大学マニフェスト研究会2005 自治体の再生〜議員は何をすべきか〜が(9号館9201教室 13:00〜16:30) 開催されます。内容は以下のとおりとなっています。
 ●ローカル・マニフェスト推進地方議員連盟共同代表による
   各プレゼン テーション
   和歌山県議会議員 浦口高典氏
   さいたま市議会議員 沢田 力氏
   流山市議会議員 松野 豊氏
 ●講演 「なぜマニフェストか(総論)」
   四日市大学客員教授 北川 正恭
 ●パネルディスカッション
    コーディネーター
    松本美穂氏(ローカルマニフェスト推進ネットワーク東海事務局長)
    竹下 譲(四日市大学)

自治体首長、地方議員、自治体職員、学生及び関心を持つ市民の方々の参加をお待ちしています。
11月18日 大久保
『どっちがトクなの?』
 秋のTVドラマで熟年夫婦の離婚をテーマにした番組の視聴率が上がってきた。定年退職と同時に会社人間だった夫が専業主婦の妻から離婚を申し出され、夫は突然のことで狼狽し、妻の固い決心は揺るがない。これからの日本の家庭で増えそうな離婚パターンである。
 2007年4月以降から、離婚後、夫の厚生年金を妻に分割できる仕組みが導入される。その時期が来るまで離婚を言い出さない方がトクと思って今じっと我慢している妻が大勢いるのか。ちょうど団塊世代の大量の定年退職と時期が重なり、興味があるところである。
 女性の側から考えると、年金分割制度が定着した後でもし離婚経験のある男性と結婚したとすると、元の妻に対して年金分割をしているので、新しい妻は減額された夫の厚生年金額で生活しなければならない。もしその男性と離婚することになったら、その年金をまた分割してもらうのか。そのようなことになったら、残された夫は二人の妻に年金を分割してやり自分は生活できるのか。また夫が亡くなったら遺族厚生年金まで二人の妻で分割するのだろうか。
 現行の年金制度では配偶者の収入や環境によって金銭の損得が生じ、結婚、離婚も愛情だけで夫婦関係が考えられないとしたら、それも悲しい。夫も妻も老後は金銭的に自立して生活できるのが理想である。
11月11日 神保
『地元で世界トップレベルのプレーを生で観戦』
 近鉄が、伊勢志摩地域のさらなる活性化を目指して、『伊勢志摩事業計画』を推進すると発表した。
 三重県南勢地域の観光産業も厳しい状況にあると聞いているので、営利目的であっても、民間企業が地域との連携を重視しながら、地域振興に貢献することはよいことではないかと思っている。
 その計画の一つの事業にスポーツイベントの開催・誘致があり、「ハーフマラソン大会」の開催や「全米女子プロゴルフ協会公式戦」の誘致が企画されている。これらが実現されれば、私個人としては、これまでよりは南勢地域に足を運ぶ機会も増えるかもしれない。
 是非とも、来年には、地元三重で、アニカ・ソレンスタムと宮里藍の優勝争いを生で観戦してみたい。
11月4日 東川
『福祉と経済』

 抜本的改革ではないにせよ、年金制度が手直しをされ、介護保険制度の見直しに続いて、今後当分は医療についての改革論議がなされていく見込みである。
 年金、福祉、医療等を含む社会保障については、戦後、いわゆる先進諸国の間で、それぞれ多様な道を歩んで現在に至っている。いわゆる「高負担・高福祉」を選択した北欧諸国ならびにサッチャー登場以前のイギリス。逆に一貫して国是のごとく「低負担・低福祉」を選択し続けているアメリカ。そしてその中間型ともいうべきドイツ、フランス、現在のイギリス等の「中負担・中福祉」グループに現在の日本も入るであろう。
 負担と福祉の関係は換言すれば経済と福祉の関係である。現在日本にアメリカ等から求められている規制緩和、自由競争はよい面も多いが、それは「グローバル・スタンダード」と呼ばれてはいるものの、実際は「アメリカン・スタンダード」であるともいえる。そしてそのアメリカの福祉の実態は、台風によってクルマを持たない何千人もの人々がみすみす避難できずに被害に遭うというものなのだ。

10月28日 小林
『原点』

 2003年の地方自治法の改正により、指定管理者制度という仕組みが創設された。簡単に言えば、地方自治体の持っている公の施設の管理を、民間企業やNPOなどに代行させることができるようにした仕組みだ。こうした業務への民間の参入によってサービスの向上やコストの削減が進むことが期待されて、制度化されたものである。
 これを受けて、今、多くの地方自治体では、それぞれの公の施設の管理者として、いずれの団体を指定するべきかの、審査を進めている。筆者もこの間、縁あって鈴鹿市と四日市市で、指定管理者の候補の絞込みに携わるという経験をさせてもらった。
 指定管理者の候補の絞込みは、様々な観点から総合的に判断して行っていかなければならない、なかなか骨の折れる仕事である。その中で、筆者が重視した点の一つが、そもそも当該施設が本来果たすべき役割は何であったか、という施設の原点とでも云うべき点であった。いくらサービスの向上やコストの削減の面で優れた提案をしている団体であっても、この施設の原点を見失っているようであっては、管理に不安があるからである。
 翻って、我々大学が本来果たすべき役割はいったい何であろうか。それは「知」の発信拠点であろう。いくら研究を重ねて「知」の蓄積を進めても、それを社会に発信していかないのであれば、そのような大学あるいは研究者は、社会的に有用性を持ち得ない。
 教育や講師派遣・受託調査・コンサルテーションなど、様々な形で社会に「知」の成果を発信・還元してこそ、その有用性が保てるのではないだろうか。考えてみれば、そのような形での地域社会と大学との「知」の架け橋となることは、本研究所の原点でもある。今後も、原点を見失うことなく、様々な形で社会に貢献していければと思っている。

10月21日 小谷
『四日市大学産学同友会シンポジウム2005

 アジア経済の専門研究者や、アジア諸国への進出企業・輸出入実施企業の4名のパネリストをお招きし、「アジアの時代と地域企業の経営戦略」というテーマでシンポジウムを、平成171117日(木)13001530に四日市大学にて開催します。 このシンポジウムが、企業経営者や経済団体関係者の皆様にお役に立ち、地域経済の発展に寄与することを心から願っております。皆様方、とりわけアジア経済に関心をもたれている方々の積極的なご参加をお待ちしております。
パネリスト
   藤原弘氏     日中経済協会調査部長
   鈴木裕志氏    住友電装株式会社 常務執行役員
   山崎惣三郎氏  マックスバリュ西日本株式会社 常勤監査役
   森岡裕美氏    中川電化産業株式会社芸濃工場 取締役工場長
コーディネーター 河崎亜洲夫   四日市大学経済学部教授

お問い合わせは 四日市大学管理課 TEL0593-65-6615 FAX0593-61-0771 迄

10月14日 土屋
『秋は夕暮れ』
 金木犀が橙色の花をつける頃となった。「謙遜」という花言葉のとおり、小さい花のため、花自体を愛でられることは少ないが、反面香りは高く、もうひとつの花言葉の「陶酔」にふさわしく、夕暮れの中で気づいたときなどはなんとなく妖しい気分にさせられるほどである。妖しい気分になるだけなら良い(?)のだが、アレルギーがあるようで鼻炎の薬がかかせない。同じアレルギーを持つ友人の自宅周辺は、金木犀を植えるのが流行りだったのか、どの家の庭にもあり、大変憂鬱だと嘆いていた。
 アレルギーのあるなしはさておき、庭木や街路樹の流行に移り変わりはあっても、まちに暮らす人々の緑への思いは変わらない。平成17年1月に実施された四日市市の市政アンケート調査の結果によると「公園や市内の緑化の推進」という項目は満足度が2番目に高い項目として挙げられている。市役所前のくすのきは常に緑を茂らせ、博物館前の通りの赤く色づく街路樹は今からが見ごろだ。
10月7日 大久保
『繁栄の恩恵』

 自宅付近にイタリアンレストランと洋菓子店舗が開店した。東海、関東地区を中心にシェアを伸ばしている人気店であり、三重県には初上陸である。開店以来、店舗の前にまで行列が出来るほどの盛況ぶりであり、近所にあってもまだ足を踏み入れられないでいる。
 またその店舗は数年前に開通した環状一号線に続く道に面しているため、夕方の交通渋滞が一層激しくなった。時間帯によっては自宅から環状一号線を通り四日市中心部に出るのに時間が読めなくなっているのが実情である。
 四日市市の都市計画が進み、国道の渋滞が緩和されて交通量が分散されていると感じる昨今である。新しい道路にある程度の交通量があるというのは、その道路は十分活用されていて、それを利用する市民も大きな恩恵に与っているということである。
 新しい道路、おしゃれなショップは大歓迎。しかし贅沢を言えば、その上でスムースに自宅を行き来したいというのが本音なのです。