2003.4〜2003.9
9月29日 大久保 
『山寺に参拝して』
 岐阜県海津郡南濃町の臥龍山にある行基寺に参拝した。今から約1200年前、天平時代聖武天皇の勅願によって建立された古い寺である。静かな山の中にひっそりと佇むその山寺は大変眺望がよく、遠く知多半島まで見渡すことができた。澄んだ空気を吸いながら座敷に座っていると、日常の喧騒から逃れ心洗われるような気分になった。
ただその寺に辿りつくまでの道は、大変細く車一台がやっと通れるほどしかない。またガードレールなどないため運転を誤ると谷底へまっさかさまである。対向車が来ないことを祈りながら命がけで登るしかないのだ。また山門に至っては老朽化が激しく、くぐり抜け禁止となっており、廊下もところどころ抜け落ちている。
せっかく歴史もあり風情豊かな山寺なのに痛々しい限りである。重要文化財に指定されている石塔などもいくつかあるのに、修繕費などの公的な補助も充分にないのであろうか。綺麗なビルの建設やショッピングモール作りもいいが、身近なものを大切にしていきたいものである。
9月26日 岩谷 
『陸上競技部、全日本大学駅伝5年連続出場決定!』
 去る9月23日、秩父宮賜杯第35回全日本大学駅伝対校選手権大会の東海地区選考会が三好池周回コースにおいて行われた。本学陸上競技部は、優勝こそ逃したものの、出場した選手全員が堅実な走りを見せ、ライバルである愛知工業大学に次いで2位に入った。その結果、5年連続での全日本大学駅伝出場が決定した。
昨年の全日本大学駅伝では、出場4回目にして初めて熱田神宮から伊勢神宮までタスキをつなぐことに成功した。今年は、もう一つの悲願である「打倒関東勢!」を是非とも実現してもらいたいものである。
伊勢路の秋の風物詩となった感のある全日本大学駅伝の大舞台で、悔いのない走りができるよう、これからの約一ヶ月間、選手諸君には練習と調整に励んでもらいたいと願っている。
9月19日 東川 
『お金は天から降ってくる?』
 敬老の日である。今年は年金改革に関する厚生労働省案、財務省案等をめぐる議論があるためか、長寿自体を喜ぶスタンスの報道が少なかったように感ずる。しかし以前にも述べたように、寿命が延びること自体は何も悪いことではない。
ここで重要な点は、年金問題はあくまで経済の問題であるという点である。年金の給付水準は現役時の収入の5割から6割の水準を確保するという、先進国に共通した認識がある以上、問題はその財源をどのように確保するかということだ。若い人達から集めるのか、消費税として集めるのか、さまざまな「改革案」が出されているが、いずれにしても天からお金が降って来るわけではない以上、それだけの金を働いて稼ぎ出すか、他の支出を削ってひねり出すしかあるまい。しかし、今出されている改革案にそのような視野の広さはみられない。まして、少子・高齢化自体を問題視し、これをくい止めて年金や福祉等の問題を「解決」しようなどという議論は荒唐無稽といわざるを得ない。
9月16日 神保 
『ニュースポーツ』
 「ペタンク」「シャッフルボード」「バッコー」「ティーボール」「グランドゴルフ」「ビーンボウリング」と聞いて、いくつおわかりになったでしょうか?これらは、いわゆるニュースポーツといわれているものです。
いずれの競技も、老若男女のハンディが少なく、特別な練習なしで、簡易な用具で楽しめるスポーツです。このような観点から、地域住民や民間スポーツ団体によって、地域のスポーツ振興のために開催されることも多く、生涯スポーツとして普及しつつあります。
わたしも、つい最近までこれらニュースポーツについて、その名前すらしらないものばかりでした。しかし、今年度から地域のスポーツ振興関係の委員をしている都合上、これらを企画運営することになり、実際にプレイしてみると、ゲーム性もあり結構面白いものです。
これらは、適度な運動量を備えていることから運動不足解消になり、健康体力つくりに役立ちます。また、地域との交流・家族とのふれあう機会として、一度参加してみてはいかがでしょうか。
9月8日 東川
『トーセーカってナンデスカ?』
 国立国語研究所が「外来語」言い換え提案の中間発表を行った。中でも「自信作」としているのが「ノーマライゼーション(normalization)」の「等生化」という造語への言い換えだそうだ。そこには「意味説明」として「障害のある人も,一般社会で等しく普通に生活できるようにすること」とある。これは正しいと思うが、そうすると言い換えとしては、必然的に「等生化」という言葉を作るのが正しいことになるのか?私は国語の専門家ではないのでわからない。
そもそも言い換えを検討する際に、それぞれその言葉をしばしば使用する分野の研究者とともに検討したのだろうか?
言葉と概念は一体のものである。ちょうど「少子化」がマスコミ・行政用語であり、その厳密な定義が未だなく、混乱をきたしているように、「等生化」なる新語が研究者、いや社会に広く定着するか否か、私には非常に興味深いものがある。 
9月5日 小林
『期待する人される人(下)』
 前々回・前回と書いてきたように、期待されるのは嬉しいことであり、期待に応えようとする志を持つことは大切なことだ。がんばって期待に応える。それによって能力も高まる。そこでさらに期待されるようになる。さらに能力は高まる。能力というものは、こうして開発されるものであろう。
  だが、能力には自ずと限界がある。がんばって残業して期待に応える資料を用意する。次はもっとできるだろうと期待される。今度は徹夜しないと間に合わない。それでも何とか期待に応える。すると、さらなる期待が・・・。これでは、過労死してしまう。
  期待するのは良いが、相手の状況を慮ることも必要だ。また、期待に応えることも大事だが、どんなに努力しても応えられそうもない時、その時にははっきりと、「無理」「できません」と断れる環境も必要だ。こうしたバランスがうまく取れている組織かどうか、そのことが、その組織全体の将来の可能性を左右するのではないか。
9月3日 小林
『期待する人される人(中)』
 前回、叱るという行為には、相手への期待が込められているということを書いた。他者に期待されているということは、自己の存在が認めて貰えているということであるから、嬉しいことのはずである。
  だが、他者からの期待に応えるということは、そう簡単にできるものではない。それゆえにか、「無理」「できません」などという言葉を、しばしば耳にする。だが、本当に無理なのか、できるかどうか試みもしないで、なぜそのようなことが言えるのであろうか。
  あるいは、期待に応えきれなかった際の、相手の失望感を和らげるための予防線なのかもしれない。だが、そうした言葉を口にしてしまうことで、自らの可能性の芽も摘み取ってしまっていることは否めない。まずは試してみることだ。期待に応えるための挑戦。無理を可能にする志を持って、時には背伸びもすることでこそ、己の能力も高まるのではなかろうか。
9月1日 小林
『期待する人される人(上)』
 叱られることは嬉しいことだ、などと書くと、マゾヒスティックな性向を持った、相当変わった人だと思われるかもしれない。普通の感覚から言えば、人に叱られるということは、不快な、できることなら避けたい事柄であろう。
  だが考えてみて欲しい。叱る側にとっても、叱るということは、決して愉快な行為ではないはずである。反発されるだけではないか、人間関係が壊れてしまわないか・・・、そんな不安を押して敢えて叱るということには、それなりの勇気も要るはずである。
  にもかかわらず人はなぜ叱るのか。それは、相手の言動が改善されることへの期待があるからだ。単なる感情的な怒りの爆発なのか、それとも、期待と思いやりを込めて叱ってくれているのか。叱られる側は、けっこう敏感にそれを見抜く。改善への期待を込めて叱ってくれているのだと分かれば、それが嬉しいことだと、やがて思えるのである。
8月27日 土屋
『私的まちづくり視察(島根・松江編)』
 夏休みを利用して島根・鳥取に遊びに行った。松江では97年から始められたというお城の堀川めぐりをした。1日乗船券1200円。屋形船で周囲4キロ弱を45分でめぐる。数箇所ある船着場は小泉八雲の旧家や地ビール工房など観光地めぐりの拠点の役目も果たしている。途中の低い橋をくぐるときは舟の屋根が油圧式で下がるようになっている。身を縮めるときにあげる歓声でアトラクションとしても楽しめる。
  以前なら何の変哲もないお堀だったのだろう。しかし水面から見あげる街の眺めは珍しく、花菖蒲などが植えられているところや、お堀沿いの民家が観光客を意識して窓際を飾り付けてある所などから、堀川めぐりが住民の生活や意識に定着している様子が伺える。なによりお堀に舟が浮かぶ風景は乗っている人以上に町を歩く人の旅の気分を盛り上げているように思う。船頭を務める人は高齢者であり、ここに高齢者の人材活用という方法もみられた。きっかけづくり、しくみづくり、ふんいきづくりの3つが整った良いまちづくり例に思える。
8月19日 大久保
『捨てるモノ・捨てないモノ』
 休暇を利用して家中の不用品の整理をした。家庭内の整理に困る物のベスト3は書籍・衣類・写真、手紙などの思い出の品だといわれる。山ほどあった数年前のFD、マニュアル本、仕事で使った書類など古いデータ類は抵抗なく処分できた。書籍や衣類も万一再び必要となった時は購入できるのでこちらも潔く捨ててしまった。困ったのは贈られた手作り品、結婚式の引出物(当人たちの名前が入っていたりする)、かさばる子どもの工作品などである。
  どうも人間の思いやりや心遣いの入った物、また二度と戻れない過去の産物はあっさり処分できないのである。そしていくら整理の達人の書いた本を参考にしてみても同じようにすっきりとは片付かない。おそらく人それぞれが大切と思う部分が違っているからだろう。物を処分するということは、自分の過去との訣別、人間関係の割り切り、使える物を捨ててしまうという罪悪感の払拭が必要なのだとつくづく感じた。物を捨てるということは思いのほかエネルギーのいる仕事なのである。
8月4日 岩谷
『国立大学法人化と私立大学』
 国立大学の来春からの法人化が決まった。当然のことではあるが、その影響は国立大学のみならず、本学のような私立大学にも及ぶこととなる。少子化の流れの中で学生獲得競争がより激しくなることや、文部科学省が先進的な大学に対し重点的に資金を配分する「21世紀COEプログラム」などの競争的資金獲得をめぐる競い合いがより激化していくことが予想されるからだ。
競争的な環境が生まれること自体は、これまでぬるま湯に浸ってきた大学界にとってある意味歓迎すべきことだと考えるが、莫大な国費の投入により教育・研究施設を充実させてきた国立大学とそうではない私立大学との競争は、決して公平なものとは言い難いだろう。
ある新聞社が私立大学の学長を対象に行った「経営戦略として、より力を入れていることは何か」とのアンケートでは、「地域に密着した研究・教育を進める」「学生の就職率を上げる」「入試を多様化し、学生募集に力を入れる」の3項目が上位に挙がってきている。国立大学法人化の前も後も、私立大学は当たり前のことを当たり前に行っていくしかない。
7月28日 神保
『ものづくり』
 先日、製造業の将来像をテーマにしたセミナーに参加した。その中で製造業(ものづくり)の空洞化についての議論があった。
  企業サイドから生産コストの面を考えると、中国など海外へ生産拠点が移っていかざるをえない状況であるが、今後、最先端の技術・研究開発部門はマザー工場として日本へ残しておき、日本の「ものづくり」を維持していくという意見があった。
  しかし、本来の「ものづくり」とは何かと考えたときに、日本で生産拠点の空洞化が進んでいき、実際に「もの」をつくらなくなってくると、日本の「ものづくり」の技能は次第になくなっていく懸念がある。技能といわれるものは、簡単には人に伝えられないものであるがゆえに、長い年月を経て継承されてきた技能をもつマイスター(職匠、名匠)が日本にいなくなっていき、将来、気が付いてみると、私達には粗悪な品質の製品しか手に入らない状況がくるのではないか、という意見もでた。
  私自身、やはり「ものづくり」は、ねじ1本の部品から製品完成までの一貫した工程を何年もかけて改善・改良していくことにより、よい「もの」ができるのではないかと感じた一方で、今の便利な生活を考えると、機械の進歩はその伝統的な技能を補っていくことが可能なところまできているのではないか、とも思っている。
  結局、製造業の将来像は創造できたが、今後どうすればいいのかの結論はでなかった。
7月22日 東川
『ローマ・クラブから「100人の村」への物語』
 広く知られているように1972年、民間団体であるローマ・クラブは『成長の限界』を発表した。このままでは100年以内に資源の枯渇、汚染、食料の欠乏等により、人類が急激な滅亡に向かうことがコンピューターを用いたシミュレーションの結果として示され、世界は震撼した。その後、同書は現在までに1000万部以上が読まれ続けている。
そして時は30年下り、昨年、『世界がもし100人の村だったら』というたとえ話がインターネットを通して、あの9.11テロ以降緊張の高まる世界中をかけめぐり、書物の形でも各国で出版された。その話の最後に述べられているのは、「たくさんの私たち」がこの村を愛すれば人類は「まだ間に合います。」というメッセージである。 
  当然、世界中でこの話の作者探しが始まり、ドネラ・メドウズ(2001年2月逝去)という女性のメッセージであることがわかった。彼女は先の『成長の限界』を取りまとめたデ二ス・メドウズの配偶者である。
7月16日 小林
『四大○○』
 まもなく梅雨明け。夏本番を迎え、各地で様々な行事が繰り広げられる。例えば、東北三大祭とされる青森のねぶた・秋田の竿灯・仙台の七夕。日本の夏を代表する祭りだ。
  ところで、この東北三大祭のような名数。なかにはかなり曖昧なものも多いということは、ご存知だろうか。例えば日本三大七夕。先ほどの仙台と、平塚をあげることに、異論はないだろう。だが、もう1か所はどこか。安城・一宮・茂原・阿佐ヶ谷‥と、諸説あってはっきりしない。むしろ、日本三景のように素性の定かな名数の方が、珍しいのだ。
  そうなると、新たに名数を創ろうとする人も現れる。実際、観光客誘致や地場産品の販売促進を目的として、近年創られた名数も多い。そこで一つ、四日市でも考えてみたい。例えば、三輪素麺・揖保之糸・小豆島素麺に大矢知素麺を加えて、四大素麺として売り出すのはどうか。四大公害病のイメージのみで見られることから、もう卒業しても良い。
7月14日 土屋
『テーマパーク論(無理やりB)』
 六本木ヒルズで気づいた点はシンボルキャラクターが妙に稚拙な感じだったということ。しかし、その作者はルイ・ヴィトンのデザインを手がけたり、米国のオークションで自作のフィギュアが6,600万円で落札されるなど今、最も注目される芸術家、村上隆氏である。キャラクター広告の幼稚性を「老人力」の赤瀬川原平氏に新聞紙上で揶揄されたことをきっかけに「幼稚力宣言」を提唱し「幼稚であることがある種のポテンシャルだと思っている」と。
  テーマパークに求められる「童心にかえる」という点に通じるところがある。大人も幼い頃のように無邪気に楽しめワクワクすることを考えれば「幼稚」ということは「可能性」といえなくもない。ただ、現実に適応できない未成熟な行動や何かが欠落しているのではないかと思われる行動を「幼稚」として認め、半ば諦めつつも受け入れているような社会ではと危惧する今、精神的な成長を遂げ成熟したうえでこそ、かえれる童心であり、可能性のある「幼稚」であると強く思う。 
7月7日 大久保
『統計調査に思うこと』
 この一年間、個人的に総務省統計局による『家計消費状況調査』に協力した。一ヶ月毎の家計の支出状況を調査票に記録し提出するものである。通信費に関する項目では詳細に項目が分かれており、特にインターネット使用料に関しては、プロバイダー料と定額の通信料の項目の別や電話回線あるいはケーブルを使用しているかの別もある。また調査票の最後にはインターネットで購入した物品の金額を記載する欄を設けてある。おそらくどの家庭でも通信費は近年飛躍的に伸びているという調査結果が出てくることが想像された。
それに比べて被服費の項目はスーツ、ワンピースを購入した時のみ記入となっている。40年も前の既製服が高価で「外出着を思い切って新調する」時代ならいざ知らず、この設問では現代の一般家庭の被服費の明確なデータは出てこないだろう。
この調査票を見ていると、調査票の作り手がインターネット通信費に関してより詳しいデータを欲しがっていることが分かる。何に関しても調査報告書を作るにあたっては、まず作成者の持論がありその結論を導き出すためのデータを後から集めていく、という図式があり、目的を持ってデータの収集を行っているのだろう。
だがせっかく時間も費用もかけて国民からデータを集めるのだから有効なデータを数多く集め、それによって自ずから導き出される結論を幅広く利用してもよいのではないかと思った。
6月30日 岩谷
『四日市大学地域フォーラム開催』
 去る6月23日、『北勢地域の産業再生 〜構造改革特区とこれからのまちづくり〜』をテーマに、四日市大学地域フォーラム(後援:三重県・四日市市・四日市商工会議所)を四日市都ホテルにおいて開催した。
第1部の「構造改革特区と北勢地域に期待すること」と題する北川正恭本学客員教授(前三重県知事)の基調講演に続き、第2部のパネルディスカッションでは、パネリストとして北川教授、行政側から井上四日市市長、佐々木北勢県民局長、コンビナート企業側から権田三菱化学且キ行役員、團昭和四日市石油褐レ問にご参加をいただき、國保総合政策学部教授のコーディネートにより、構造改革特区指定を今後の北勢地域の産業再生につなげていくための討論がなされた。
当日は、420名もの方々のご参加をいただき、盛会のうちにフォーラムを終えた。
6月9日 神保
『構造改革特区』
 昨年、政府の経済政策の重要な柱の1つとして「構造改革特区」構想がスタートした。その第1弾として、三重県においては、三重県・四日市市・四日市港湾管理組合の申請した「技術集積活用型産業再生特区」が特区の認定を受けた。
   この特区は、四日市のコンビナート地域を、三重県産業界をリードし続ける産業集積地として再生することにより、県北勢地域にわたる広い地域の活性化を促すことが目的である。その内容は、コンビナート施設のレイアウト規制・港湾・燃料電池などに関係する特例措置が盛り込まれており、規制を緩和することで企業がより活発な事業展開をすることが可能となる。
   今回の構造改革特区は補助金や税制の優遇などを講じないなど「カネのかからない景気対策」であり、公共投資と違い規制緩和により経済効果が現れるまでに時間がかかるかもしれないが、この四日市地域の特区だけでなく、今回認定された、また今後認定される、すべての特区が成功をおさめることを期待する。そしてそれらが全国に波及することにより、日本経済全体が活性化することを望む。 
6月2日 東川
『厄年の寿命スライド制を考えよう』
 私事で恐縮だが、満42歳になった。ちなみに数え年の42歳は男の本厄だそうである。ここはひとつ平均寿命の伸長に合わせ、厄年も「寿命スライド」させてみたい。一般的に厄年は数え年で男が25歳、42歳、61歳、女が19歳、33歳、37歳、61歳を言う。平均寿命は手元の資料による最も古い1921年(大正10年)から1925年(大正14年)の平均では男42.06歳、女43.20歳である。それが2000年現在では男77.72歳、女84.60歳まで伸びている。それを考慮すると、「新厄年」は男46歳、78歳、113歳、女は38歳、65歳、73歳、120歳となる。男性の46歳は生活習慣病が気になり始める時期、78歳は後期高齢者であり要介護者となる率が高まる時期、113歳は偶然、現在の男性の最高齢者になる年齢であり、女性では、38歳は国際的には40歳からとされている更年期の始まりに近い。既婚であれば65歳は完全に退職したパートナーとの生活が始まる時期、73歳は後期高齢者が近く、120歳は男性ではあるが泉重千代さんの亡くなった年齢で、まさに2度目の還暦ということになろうか。
   このように期せずして現代のライフサイクルにおいても厄年は意味を持っているようである。「厄」を自らのライフサイクルの区切りとして、前向きに活用していきたい。
5月26日 小林
『時期尚早!?』
 市町村の合併、参入規制の緩和、憲法の改正・・・。様々な改革が論じられるたびに、必ず聞かれる反対論に「時期尚早」という言葉がある。
  時期尚早、字義通りには「まだそれを行う時ではない」といった意味であろう。いずれ条件が整った時にはそれを行っても良いが、今はまだその時ではない。そう聞こえる。
  だが、どのような条件が整えば、それを行う時が来たと判断するのか。残念ながら多くの場合、その判断基準が示されることはない。時期尚早論者の本音は、とにかく反対なのであって、それを行っても良い時など、そもそも永遠に来ないのであろう。
  それなのに、あたかもいずれは時が来るかのようにカモフラージュして、本当の反対理由を隠す。時期尚早という言葉は、その隠れ蓑とされているのである。時期尚早論に誤魔化されてはならない。どういう条件が整えば時が来たといえるのか、その判断基準を示すよう追求し、本当の反対理由を明らかにさせようではないか。  
5月19日 土屋
『テーマパーク論A』
 前回の結びとしたハウステンボスの件はオリエンタルランドが支援を断念したと聞き残念に思うと同時に、再建がいかに困難かを痛感した。そのような中、後楽園ゆうえんちは東京ドームシティと名称を変えてこの春オープン。携帯電話で予約でき待ち時間を軽減したIT遊園地で、さらにラクーアと呼ばれるスパとショップ&レストラン街からなる複合ビルもある。ターゲットを客足の少ない平日の夜を見込んで若い女性に絞り、会社帰りの利用をねらう。としまえんは地元色を打ち出し温泉施設、トイザらスを開業、来年には映画館施設も開く。富士急ハイランドはコースターで「世界一」にこだわる。地元の長島温泉もアウトレットモールに加え、露天風呂の大型施設もオープンし、このGWには最多の5万人が訪れた。湾岸道路のICが至近距離に設けられ、アクセスの快適さと夜景の素晴らしさは自慢できる。
   独自のこだわりと五感を刺激する何かを持つことが生き残り策になるのだろう。今週末は集客力でテーマパークを脅かす汐留シオサイト、丸ビル、六本木ヒルズなどの新しくオープンしたオフィスビルに足を運んでみたい。
5月12日 大久保
『市町村の将来設計』
 自分の住む町をぶらぶら歩いていると、古い町並みの中に新しい住宅が10軒ほど集合して建てられているエリアが増えていることに気付く。同じ住宅メーカーが建築しているそれらの住宅は皆一様に西欧風である。古い和風の住宅が建ち並ぶ中で、一画だけ洋風に建てられた家々は何となく居心地が悪そうである。
  ヨーロッパのいくつかの国は個人住宅にも規制を設けており、その街の風格を損なわないよう色やデザインを統一し、個人の好みの色を持ち込むことは制限している。イギリスのある町では30年前の窓枠のデザインを今だ保持し続けているが、瀟洒なその作りは古さを感じさせない。長期間飽きさせないデザインを生み出す感覚を西欧の建築家は備えているのであろうか。
  先月の統一地方選挙で多くの自治体に新しい首長が誕生した。今後の市町村合併構想に新しい風が吹くのであろうか。20年後、30年後に自分の住む市町村が愛せるよう長期的な展望で合併が進められることを期待したい。
5月6日 岩谷
『前三重県知事北川正恭氏が本学客員教授に就任』
 4月まで三重県知事であった北川正恭氏が、本学の客員教授に就任されることとなった。北川氏と本学の教員とは、以前からマニフェスト(数値、財源、期限付きの選挙公約)の研究などを通じて交流があり、知事退任後も地域への貢献を続けていただきたいと学長から客員教授就任を要請したところ、快くお引き受けいただいた次第である。
  北川氏の持論である生活者起点の行政や成果主義を重視した地域経営について、本学主催のシンポジウムで講演していただいたり、学部での講義も一部担当していただけるとのことであり、今から楽しみである。
   また個人的には、「改革派知事」として全国にその名を知られた北川氏の客員教授就任を契機に、本学においても積極的な学内改革への取り組みが行われ、学生、教職員、地域住民など全ての関係者とってより良い大学となるよう変貌を遂げなければならない、と感じている。  
4月28日 神保
『税金と選挙』
 毎年この時期になると、忘れていたことに気づかされ、いつも後悔することがある。それは、税金の納付である。まず、4月末に固定資産税の納付があり、それを終えたと思うと、続けざまに自動車税納付書が送付されてくる。一般的なサラリーマンである私にとっては、税金というものは源泉徴収されており、消費税は別として特別に税金を支払うことは日常ではほとんどない。それであるがゆえに、その出費のことは忘れているのが常であり、準備していない私にとっては、銀行口座の残高がマイナスとなり負債となってしまう。毎年その繰り返しの連続である。
しかし、今年はいつもと違う。この週末には、統一地方選挙の後半が行われる。きちんと納税の義務を果たすことを前提に、市民のために税金をより有効につかっていただけそうな考えをもっている候補者に、一票を投票する権利を行使するため、投票所に足を運ぶことにする。
4月21日 東川
『少子・高齢化でなぜ悪い?』
 人口の少子・高齢化については、好ましくないこととして語られることが多い。しかし、寿命を少しでも伸ばすために、また多産多死からの決別のために人間は必死で努力してきたのではなかったか?
  このように冷静に考えてみると少子・高齢化自体に問題はない。問題はむしろ、少子・高齢化に社会が対応できていない点にある。とすれば、大局的な見地からみると、少子・高齢化をくい止めるための施策ではなく、少子・高齢化に対応できる社会の仕組みづくりこそが早急に必要とされていることはおのずと明らかだろう。
4月14日 小林
『候補者の違い』
 昨日行われた統一地方選挙前半戦。札幌市長選では、7人の候補者がいずれも「有効投票の総数の四分の一以上」という公選法の規定を満たせず、後日再選挙となった。
  選挙で選択肢が多いのは悪いことではない。一般に、選択肢が少ないと自分の一票では流れは変えられないといった無力感から投票率が下がるのに対して、選択肢が多いと一票の価値が実感しやすく投票率は上がると言われる。だが、いくら選択肢が多くとも各候補の特徴が不鮮明では、投票率は上がらない。投票で政治を変えるという実感が持ちにくいからである。多くの選択肢がありながら、同市長選の投票率は、過去最低となった。
  ひるがえって我が三重県の知事選挙。有力3氏の争いと言われたが、投票率は、前回・前々回を下回った。理由はいろいろとあろうが、やはり3氏の違いが見えにくい中での無力感もあったろう。候補者には、他の候補との違いを鮮明にする努力を望みたい。その一つの手法として「マニフェスト」もあったと思うのだが・・・。
4月7日 土屋
『テーマパーク論@』
 一時期の乱立の時代を経て、ひとり勝ち組みといわれる東京ディズニーランド&シーを関東の雄とするなら関西の雄はUSJであろう。しかし、歴然とした実力の差があり、同じ土俵では語れない。まず、阪神高速湾岸線の道路や近隣の工場がパーク内からも見えるというロケーション。それが気持ちを日常へと引き戻してしまう。次につくりこみの足りなさ。点在する街並みは単なる飾りだけの所が多く、それがチープ感を漂わせ、さらに物販店舗数の少なさにもつながっている。アトラクションを待つ間のアナウンスも余分である。間違った言葉遣いなどもあり、従業員教育が徹底されていないのでは?という感は拭えない。随所にちりばめたギャグやショーにおけるお客さんとのかけあい、おやくそくはよくも悪くも大阪である。
  地方性は独自性であり、それも欠かせないファクターではあると思うが、ユニバーサルスタジオ大阪(USO)では、所詮バッタもん?と揶揄される程度にとどまってしまう。東京ディズニーランドは千葉であり、さらに現実の日本でありながら、そこは夢と魔法の国だと誰をもその気にさせる舞台と演出とサービスがある。「TVの枠を越えたスケールの大きいスクリーン」や「真のエンターテイメント」を、「大阪でありながらハリウッド」を感じさせてくれたら、東西対決といっても誰も異を唱えないときがくるだろう。ハウステンボスの再建にオリエンタルランドが名乗りをあげた。実現したのちに以前とどう変わっているか、再び訪れることを楽しみにしている。