2002.10〜2003.3
3月31日 福島
『Next Step』
 毎年卒業シーズンになるとよくラジオでも耳にしますね。春なのにお別れですか春なのに涙がこぼれます・・・・春は別れと旅立ちの季節です。悲しみと希望がそこにはあります。私事で恐縮ですが、本日付で研究所を去ることになりました。そして、この4月より母校に戻り、教壇に立つこととなりました。当地にきて、2年が経ちますが、自治体の方や地域の人々には暖かく迎えられ、楽しく勉強をすることができました。この場を借りて心より御礼申し上げます。
   また、幸運にも研究所には設立当初から在籍できたため、勉強になったことはいうまでもありません。そして、なによりも研究所の仕事を通じて、お近づきになれた自治体の方や学内外の先生方からは数え切れない示唆をいただきました。現場から学び、今後の研究のための無数の財産をいただいたことはこの上ない幸せです。  末筆になりましたが、研究所のスタッフの皆様には大変お世話になりました。ご迷惑ばかりお掛けしたのではと心配しております。ここに、お詫びと御礼を申し上げる次第です。
   今後は、三重県の自治体を外から眺めたいと思います。三重県自治体、四日市大学、四日市大学地域政策研究所の益々の発展を祈念いたします。
3月24日 大久保
『ネットワーク拡大』
 第二名神高速道路の整備が進み、21日に伊勢湾岸自動車道のみえ川越ICと四日市JCT間(6.2キロ)が、23日に豊明ICと名古屋南IC・JCT(5.3キロ)が開通した。四日市ICから豊明ICまでは約30分で行くことができるようになり、従来の国道23号線を利用することに比べると約70分の時間の短縮になる。
  連休を利用して四日市市から豊田市方面まで走ってみたが、伊勢湾岸自動車道は片側3車線で渋滞も少なく、伊勢湾を眺めながら名古屋港のシンボル名港トリトンを走り抜ける楽しみもある。2年後の中部国際空港の開港、愛知万博の開幕にはこの新ルートは大いに威力を発揮することになるだろう。
  ところで、年度末になり、自宅付近の道路工事がまた再開された。朝の通勤時には自宅から約2キロほどの距離を15分かけて通過することもある。春先の道路工事の多さには毎年辟易してしまうのである。
3月17日 岩谷
『別れの季節、出会いの季節』
 春は、別れの季節である。去る3月15日、本学の第12回学位記授与式(いわゆる卒業式)が行われ、590名の学生が巣立っていった。厳しい経済情勢を反映し、就職先が決まらないまま卒業式を迎えた学生もいる。卒業後もあきらめることなく就職活動を続け、自分の力を存分に発揮できる場所を見出してくれるよう願うばかりである。
  別れと言えば、当研究所でも福島研究員が母校からの招聘を受け、東京に戻ることとなった。急な話でもあり、研究所としては大きな痛手ではあるが、福島研究員の研究者としての将来を考えるならば、ここは温かく送り出すべきなのだと思っている。
  春はまた、出会いの季節でもある。来る4月2日には入学式が予定されており、多くの新入生を迎えることとなる。本学での学生生活に大きな希望を抱いてやって来る学生たちを失望させることのないよう、これまで以上に気を引き締めてかかろうと思っている。
3月10日 神保
『中国訪問回想録 そのB』
 中国に進出するメリットについて、視察した企業の話をもとにまとめると、主として次の3点に整理できる。
  @日本と比して安価で豊富な労働力がある。まだまだ内陸部には、労働力として利用されていないたくさんの人材が眠っており、当分の間安価な労働力の提供が得られる。 A前述@の労働力の中には、有能な人材が豊富である。視察した企業の中にも、流暢に日本語を話すことができ、日本語で文章を書く能力も日本人より優れている人もいた。また、現場での作業分野の技術レベルも日本と変わりないレベルである。 B中国は13億人ともいわれている人口を抱えており、それらが形成する大きなマーケットがある。もちろん所得格差は随分あるが、今後中国が発展していくにつれて年々所得水準が上がっていくと、相当な需要が伸びてくる可能性があると考える。
  しかし、実際に中国で事業を営み、そのメリットを享受するためには、多大なる時間と労力とお金が必要になることも事実である。
3月3日 東川
『巨大地震による被害想定への疑問』
 疑問に思っていることがある。東海地震、東南海地震等について最近、綿密な被害想定が数値として出され始めているが、そこには地震の発生する年代による人口高齢化の進展は見込まれていない。
 例えば阪神・淡路大震災では死者6432人中、49.6%に当たる3193人が65歳以上の高齢者であり、1995年の兵庫県の高齢化率は14.1%、神戸市の高齢化率は13.5%であった。現在、東海地震により静岡県では最大5851人の死者が想定されているが、これは1995年国勢調査の人口データに基づく。同年の静岡県の高齢化率は14.8%だが、地震が仮に2030年に発生した場合、現在の人口推計では当県の高齢化率は30.0%にまで上昇している。率直に考えても高齢化率の上昇は当然、被災者の数や年齢構成、防災計画の内容に影響を与えるのではないか。死者のほとんどが高齢者で占められているという想定も非現実的とはいえないだろう。
2月24日 小林
『伝える言葉』
 サスティナブル、ユビキタス、リダンダンシー・・・。いずれも、最近よく耳にする言葉である。ともすると、我々研究者や行政関係者は、こうしたカタカナ語を使いがちだ。
   新しい概念を表すのに、使い古されていない新しい言葉が必要なこともあるし、逆に、新しい言葉を使うことで、旧来と変わらない事柄に新たな装いを施すという粉飾もある。
   だが、このような安易なカタカナ語の使用で表される内容が、いったい、どれだけの人に正確に通じているだろうか。言葉は、伝え合うための道具である。どんなに優れた内容を持っていても、それが伝わらなければ、何の価値も持たない。
   これから年度末に向け、研究所は、数多くの調査研究の成果を報告書にまとなければならない、1年で1番忙しい時期になる。カタカナ語で粉飾したくなるような中身になっていないか自責しつつ、報告書では、成果をわかりやすい言葉で伝えるよう心がけたい。
<用語解説>
     サスティナブル:維持可能、持続可能。
     ユビキタス:遍在。転じてどこに居ても遍くコンピュータに接続できる状態。
      リダンダンシー:余裕。転じて交通・通信網などの一部が途絶した際の予備。
2月17日 土屋
『循環型都市空間』
 四日市駅前のダイコクドラッグという薬屋に足を運ぶことがあった。店内に繰り返し流れる音楽が耳に残る。さらにはサビの部分になると店員が同時に叫ぶのも妙に可笑しい(特売日だったから?)。ここに限らず、決まったBGMを流している店は多く、その売れそうもない曲がヒットチャートの上位に躍り出てくることも珍しくない。もちろん歌の良さがあるのかもしれないが、繰り返すことの効果の方が大きいのではないか。
  意識せず生きている毎日のそこかしこに繰り返しは存在する。寄せては返す波も、沈んでは昇る太陽も。人間自身、生きることそのものが繰り返しだ。規則的な心臓の鼓動、血液の循環。「飽きる(死)」という習性を持つと同時に相反する「繰り返したい(生)」という欲求がおこるのは当然のことだろう。恒例行事、アニバーサリーを重視する、巡礼がはやる、というのはその表れではないか。はたしてまちの中に心地よい「繰り返し」はあるのだろうか。使い勝手のいいループバス、環状線。心安らぐ緑の回廊。水面きらめくキャナル。循環型社会はエネルギーやごみのことだけをいうのではなく、生きている都市空間もそうあるべきなのかもしれない。
2月10日 福島
『郵便局と地域行政サービス』
 当地に赴任し2年が過ぎようとしているが、とくに郵便局の地域で果たす役割を実感することが多い。地方都市において、郵便局の地域密着性・有用性の高さは都会のそれと比べものにならない。
   郵便局はある種の総合金融機関、情報基地である。平成13年12月1日「地方公共団体の特定の事務の郵政官署における取扱いに関する法律」が施行され、その役割に拍車が掛かった。昨年1月21日、長野県下伊那郡高森町の郵便局で、全国のトップを切って、住民票、戸籍証明書などの受付・発行を行うサービスの開始を皮切りに委託市町村数は979、委託郵便局は、1,992局(平成14年12月31日現在)になった。三重県では、大宮町 河芸町 熊野市 藤原町 度会町につづいて、平成15年2月5日から名張市でも住民票の写しなどの交付事務サービスを開始した。
   今後、こうした行政サービスの拡大が行政コストの削減を促し、住民=顧客満足度を高め、より住み良い街になることの手段になることを望みたい。 
2月3日 大久保
『配偶者特別控除廃止に向けて』
 確定申告の時期になった。パート、アルバイトで働く主婦は年末が近づくとその年の収入が一定額を超えないように調整し、源泉徴収票を集めて払う必要のなかった所得税の還付を受けることになる。
   所得税の配偶者特別控除原則廃止の方針が昨年12月に打ち出された。2004年から導入予定である。サラリーマンの妻として年金保険料を負担しない「第3号被保険者」の優遇措置が廃止されようとしている。時代の変遷と共に家庭を持つ女性の働き方も大きく変化し、旧態依然とした現在の制度は時代にそぐわなくなっているのである。
   女性が自立し、自らの年金負担をするのは個人的には大いに賛成である。しかしこの時代に雇用者の厚生年金と健康保険を担う企業側の負担もかなりの額になる。はたしてパートの主婦は収入の上限を考えずに大いに働けるようになるのだろうか。厚生年金等に加入できずに今よりもっと収入を抑えて働かざるを得なくなるのかもしれない。加入したとしても、社員とアルバイトの間の不公平感はさらに拡大しないだろうか。今年一年、年金改正の動向も併せて見守っていたい。
1月27日 岩谷
『大学倒産』
 先日、広島県の立志館大学が新年度からの休校を決めた。戦後の混乱期を除き、四年制私大初の破綻例となる模様だ。数年前からささやかれていた「大学倒産」が、いよいよ現実のものとなってきたわけである。
    昨年の18歳人口は、ピーク時に比べほぼ100万人減の約150万人にまで落ち込んでしまっている。学生が減少していく中、大学は毎年新設され続けており、大学間の競争をより激しいものにしている。
    このような状況下で大学が生き残りを図るためには、「教育」「研究」に加え「地域貢献」の機能の充実が不可欠であると言われている。大学が地域の問題解決のために汗を流すことができれば、地域社会から自ずとその必要性を認められるというわけである。
    報道によれば、件の大学の場合、地元の住民にすら「そんな大学あったの?」と言われているそうである。もって他山の石としたい。 
1月20日 神保
 『中国訪問回想録 そのA』
 私の印象に残った事柄の1つに中国の交通事情がある。中国は交通事情がよくない国である。日本は歩行者優先だが、現在の中国では「歩行者優先」ではないらしい。法律上で決まっているのかどうかは知らないが、とにかく車が強い。中国には交通ルールは徹底されていないのか、交通マナーにいたっては、いたってひどいと感じた。歩行者用の信号が青だからと言って安心して横断していたのでは、確実に車に轢かれます。車は歩行者を見てもスピードを落とさず走ってくるので非常に危なく、歩行者に対する思いやりなんてない様子。また、自転車や歩行人においても日本人が危険と感じるような道路でも当然のように中国人は横断をしていた。そのような状況であるがゆえに、クラクションは、いたる所から鳴り響いていた。
   今もなお、各都市では自動車が増加しているらしいが、中国の人にとって自家用車は高価なもので限られた人達しか所有できないものであり、マイカー所有は成功の証であるそうである。
1月13日 東川
 『ニュース・ステーション氏の不良債権』
 数年前、『「非婚」のすすめ』を説いた森永卓郎氏(というより『ニュース・ステーション』で久米宏の横に時折座っている人)の新刊が『シンプル人生の経済設計』(中公新書)である。
 彼は言う。「できれば持たずに人生を送りたい『3つの荷物』が存在する。その3つの荷物とは、すなわち『専業主婦』と『子供』と『マイホーム』である。」(86ページ)と。彼に言わせれば、この3つは「人生の3大不良債権」だそうである。この3つがなければリストラで自殺することはないと彼は言う。 確かにそこではじき出されている金額自体(専業主婦+子供2人=1億円+住宅ローン)は正しいものなのだろう。
 しかし、それら「3大不良債権」を持たない「シンプル人生」とは何なのか。そのような人生を勧められるいまの日本の社会の在りようこそが異常ではないか。
1月6日 小林
 『年頭にあたって』
 あけましておめでとうございます。仕事始めの今日、ここ四日市では、雪の朝を迎えました。幹線道路は、雪のために各所で大渋滞。私もこれに巻き込まれ、新年早々から遅刻してしまい、見通しの甘さを痛感しました。
   さて、見通しが甘いといえば、昨今の日本です。甘い見通しに基づいて抜本的な不良債権対策や構造改革を怠ってきたことが、今日の閉塞状況を招いてしまいました。
   しばしば、先の見通しの立ちにくい混迷の時代だと言われます。しかしだからこそ、今朝の雪のように現実を覆い隠してしまうのではなく、現実を直視した上で、これを変革してより良い社会を築くための、確かな見通しが求められているのではないでしょうか。
   地域づくりの指針となる確固たる見通し。これを示すことが私どもの使命と考えています。本年も、地域の役に立てるよう頑張りますので、弊研究所を宜しくお願い致します。
12月31日 土屋
 『再生』
 書籍名や新聞の見出しに『再生』ということばを目にする機会が多い1年だったように思う。再生という言葉は、「都市再生」「金融再生」「日本再生」とその2文字をつけるだけで、何かしら希望がみえてくるような気にさせてくれる。
    しかし、現状はどうだろう。再生すべき日本という土壌は肥沃をとおりこして、腐敗まですすんでいるのではないだろうか。痩せた土地を耕し、作物を育てることは難しいであろうが、それにもまして一度腐敗した土壌を地質改良し、耕作に適した状態にすることのほうが、より時間と労力を必要とするだろう。そしてそのうえで再び目指すべきものは何なのか、たどりつく場所はどこなのだろうか。再生とはいいながらも決して以前とおなじところであってはならないはずだ。
   きたるべき年にあたらしく緑が萌え、花が咲き、結実するときがくることを願ってやまない。
12月24日 福島
 『Yes,Virginia,There is a Santa Claus.』
 毎年この時期になると、必ずアメリカのどこかの新聞に載る記事がある。1887年、バージニアという8歳の少女が、ある新聞社(Sun新聞)出した手紙である。「サンタクロースはいますか?」I am eight years old. Some of my little friends say there is no Santa Claus. Papa says, "If you see it in The Sun it's so." Please tell me the truth, is there a Santa Claus? http://members.tripod.com/~irishpub/words/yulewords.html)
   この手紙に社説の中で、チャーチ記者は答える。「サンタクロースがいないって!そんなことありません。サンタクロースは確かにいます。愛や広い心や大切な人の為に尽くしたいという思いが存在するのと同じくらい、確かなことです。」何かを信じる心、想像する心、そして愛する心だけが、最高の美しさを垣間見ることが出来るという内容で締めくくられている。閉塞感を強く感じる時代であるが、信じる心、想像する心、そして愛する心があふれ、希望にあふれた地域が来年は数多くできることを願いたい。
12月20日 大久保
 『10歳未満お断り』
 東京駅周辺にあるビルの中の店で食事を取った。その店に5歳と2歳くらいの二人の子どもを連れた一人の女性が入ってきたが、すぐ出て行ってしまった。その店の出入口には「10歳未満のお子様による危険な行為に、当店は責任を持ちかねますので入店をお断りします」と書かれた貼り紙があった。
 ビルの入り口には巨大なクリスマスツリーがそびえ立ち、街路樹の華やかなイルミネーションが、行き交う人々の目を楽しませていた。そんな賑やかな週末の街中をさっきの母子はどこまで歩いて行ったのだろうか。
 子育てを阻む要因となる重石は街中にごろごろと転がっている。今、なぜ少子化の時代なのか。理由は無数にあるのだろう。しかしそれを机の上だけで議論するだけでなく、まず外へ出て自分の周りを見渡し、重石となっている石ころを一個ずつ拾っていく。そんな行動が大切なのではないかと考えた。
12月12日 岩谷
 『高度専門職業人養成のための新しい大学院』
 今国会において、学校教育法の一部が改正された。その中で、大学院の目的として、新たに高度専門職業人の養成が明確に打ち出され、専門職大学院の制度が創設されることとなった。昨今よく耳にする法科大学院(いわゆるロースクール)も、この専門職大学院の一形態である。
 専門職大学院は、研究者養成を使命とする従来型の大学院とは異なり、法律や経営、会計などの分野で、高度かつ専門的な職業に従事している人々が、職務に即役立つ内容を学ぶための大学院だとされている。高校を卒業する者の半数が、大学・短大へ進学する現状から考えれば、専門性の高い職に就いている者(もしくは、就こうとする者)が、この新しいタイプの大学院で学ぶ意義は非常に大きいと考えられる。
   大学運営のプロフェッションを養成するような専門職大学院ができたならば、私も是非そこで学んでみたいと考えている。(時間と費用と能力が許せば、の話ではある・・・)
12月3日 神保
 『中国訪問回想録 その@』
 先々月、中国へ日系の進出企業へ視察訪問に行ってきました。そのとき感じたことなどをここで数回にわけて書いていきます。
   1回目は、現在の中国の変化のスピードの速さについてです。訪問したある企業で聞いた話ですが「3ヶ月中国にいってないものは、中国を語るな」という社内でのルールがあるほど、刻々とめまぐるしく変化しているということです。事実、中国経済の過去10年間の平均成長率は約10%、2001年の実質経済成長率も7.3%を維持しており急速な経済成長を遂げています。
  現地ガイドさんの話によると、2008年オリンピック開催に向けて、人口約13億人ともいわれている豊富な労働力を生かし、道路などの都市開発のスピードは日本とは比べものにならないほどの速さで整備されているそうです。 
11月18日 東川
 『ドラッカー氏もお手上げ?』
 世界に先駆けて日本で出版されたP.F.ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ −歴史が見たことのない未来がはじまる−』(上田惇生訳:ダイヤモンド社)は7月現在、既に20万部を突破する売れ行きを見せている。
  氏によればネクスト・ソサエティとは「少子・高齢化」した「知識社会」である。だが同時に、「いまわかっていることは、現代社会の出生率を定めるものが何であるかについては何もわかっていないということだけである。」(p.18)とも率直に述べている。
  私が考えるに、もしそうならば、現在から20年以上先の社会については、明確な予測は不可能ということになる。なぜなら、これからの出生率の予測がつかないということは、生まれたその子が20歳を過ぎて労働力になる、これから20年後以降の労働力の状態がわからないということに他ならないからだ。
11月11日 小林
『住民投票』
 2005年3月までという「市町村の合併の特例に関する法律」の期限をにらみ、各地で市町村合併の動きが急である。こうした合併の動きとともに、各地で、合併に関するそれぞれの市町村の意思決定を、住民投票にかけようという動きも目立つようになってきた。昨日投票が行われた福井県松岡町を含め、今年、既に5件の住民投票が、実施されている。
  だが、そのいずれの地域でも、投票時点では、法定の合併協議会は設置されていない。本来この法定の合併協議会で協議される、サービスや負担の水準、まちづくりの計画などの判断材料が示されず、住民の間での議論も十分ではないままに、合併すべきか否か、あるいは合併相手の良し悪しなど、将来に責任のもてる判断ができるのだろうか。
 判断材料が乏しい中での住民投票では、却って将来に禍根を残しかねない。十分な情報と議論の上に行われて初めて、住民投票は民主主義の有効な手段たりうるのではないか。
11月5日 土屋
『全国駅伝大会』
 去る3日、全国駅伝大会が開催された。今回、四日市大学も出場4回目にして初めてタスキをつなぐことができ、選手ならびに関係者の喜びはひとしおだったと思われる。
 三区の中継地点では、走り終えた選手が沿道で声援を送ってくれたひとりひとりにお礼の言葉を伝えていた。「悔いを残さず楽しく走ることができた」と堂々と話す姿はすがすがしかった。長い間の練習の成果をその一瞬に発揮することの難しさは言葉では言い尽くせないものがあるだろう。体調を万全に整えてもアクシデントがないとはいえない。なおかつプレッシャーをはねのけるだけの精神力を養う必要性が大きいことを考えるとスポーツが体力をつくるだけのものではないことをいまさらながら深く感じる。ゴール地点の内宮につづく参道では、そこかしこで繰り広げられる出場校の応援合戦や七五三の参拝客、おかげ横丁の賑わいが大会に色を添え、いっそう心洗われる思いを強くした1日であった。 
10月28日 福島
『犯罪被害者支援体制』
 日本の治安は世界一であるという安全神話は崩れつつある。新聞では凶悪犯罪やドメスティック・バイオレンスなどの記事が毎日報じられている。(http://www.npa.go.jp/)私たちは、こうした記事を読むときに、興味本位あるいは他人事として読み流している が、犯罪の裏側には被害者がいることを忘れてはならない。
 日本では、犯罪の被害者あるいは遺族に対する公的な支援がいまだ十分ではない。犯罪被害者等給付金支給法(1981年施行)が存在するが、ほとんど告知もされず、支給基準が厳しいため多くの被害者は援助を受ける機会を逸しているのが現状である。  また、被害にあったことで生じる恐怖、不安などを取り除くためのカウンセリング体制も十分には整っていない。被害者は犯罪の被害にあってしまったことの苦しみが甚大な喪失や衝撃によるものだけでなく、追い討ちをかけるかのように法律や対人関係など多くの面であまりにも心を配られない状況に放り出されたことがあるという「心が痛くなる」現実である。いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス傷害)をうけた被害者に対して社会の理解不足が目立つ。
  もちろん、法的にいえば、加害者の人権も軽視してはならないが、被害者にこそもう少し配慮がなされてもいいように思う。 幸い、最近では、こうした犯罪被害者を支援するボランティア団体が見られるようになった。欧米に遅れること20年と言われる我が国の実状を考えると、社会全体で支援できるようになるにはまだまだ遠い道のりがあるかも知れない。犯罪被害者支援活動が始まり、動き出したことは希望であろう。地域で犯罪被害者への支援体制を真剣に考える時代がまさに来ている。
10月21日 大久保
『いずれの森か青き海』
 四日市市を舞台にした映画「いずれの森か青き海」(瀬木直貴監督)の撮影が10月初旬から始まった。地元に住む16歳の少女の心の動きを通して地域コミュニティーの大切さを描いていくという。撮影は霞地区から磯津地区までの四日市港全域を中心に行われる。
 先週市内でロケがあり、180人ほどのエキストラが諏訪神社に集合し撮影に参加した。諏訪新道をねり歩く四日市祭のシーンでは、定休日の店舗もシャッターを開け、商店街の方々も顔を覗かせて活気溢れる街のシーンの演出に彩を添えていた。
  四日市駅前の商店街の衰退は寂しい限りだが、一時的に人が集まるだけでは活性化は望めないだろう。このたび四日市商工会議所が今年1月に閉店したジャスコ四日市店の跡地活用のアイデアを一般から公募した。自然に市民が集えるような、時代に合った静かな活気を取り戻せるような施策を我々市民も考えてみたい。
10月15日 岩谷
『活力ある地域内の大学編成』
 先日、ある高校の2年生80数名が体験学習のため来学した。模擬講義や研究室訪問、また学生食堂での昼食などのプログラムを通じて、少しは大学の雰囲気を味わってもらえたことだと思う。当研究所も訪問を受け、小林研究員が研究所の使命や役割について説明した。
  少子化の影響からどこの大学も受験生の減少に悩まされており、体験学習などに参加してもらうことで、大学を少しでも身近なものと感じてもらうよう努めている。
  個々の大学が高校生の支持を得るために努力することは当然であるが、大学だけがいくら頑張ってみたところで、学生生活を送る地域そのものに若い世代を引きつける魅力がなければ、継続的に学生を集めていくことは今後ますます困難になるであろう。
 この地域唯一の大学に籍を置く者として、活力ある地域づくりの動きに無関心でいてはならないと感じている。
10月7日 神保
『鈴鹿市とF1開催』
 今週末、鈴鹿市でF1日本グランプリが開催される。鈴鹿サーキットでF1と8耐のレースが開催される日は、鈴鹿市内に人が急減に増加する。鈴鹿市の現在の人口は約18万6000人だが、過去のF1日本GPでの1日の最高観客動員は1994年決勝日の15万5000人を記録している。
  私自身、一時期に比べるとF1の人気は年々下降気味であるように感じているが、今年はトヨタ&佐藤琢磨(ジョーダン)の参戦の影響もあるせいか、最終戦の日本GPのチケットは好調な売れ行きだと聞いている。残念ながら両者ともこれまでの成績は思わしくないが、最終戦の鈴鹿で実績を残して、過去のようなF1人気復活を期待している。
  そしてF1日本GP開催についても、今のところ鈴鹿サーキットが2006年までの興行権を取得しているが、地元の私としては、それ以降も引き続き鈴鹿でのF1レース開催継続を望んでいる。